実に大人向きの映画です。表面的には何も起こりませんが、小さな出来事を発端に老夫婦の内面に揺らぎが生じ、それが互いに干渉し合って増幅されていく様子を丁寧に描いていきます。こういった心の機微に共感できるだけの経験が必要かも知れませんが、ある程度の年齢を重ねた方なら心に響いてくるものがあると思います。
その老夫婦を演じたのは、シャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling)とトム・コートネイ(Tom Courtenay)。本作で共に去年のベルリン映画祭の銀熊賞(最優秀男優賞、最優秀女優賞)を受賞して話題になりましたが、それも納得の演技でした。この2人あっての映画だと思います。
映画の幕開けは英国ノリッチ(Norwich)の田園風景。月曜の朝、シャーロット・ランプリング演じる妻のケイトが鼻歌まじりに犬の散歩から帰ってきて、自宅のアプローチで昔の教え子だった郵便局員と出会います。
そこで渡された郵便物がこの物語の軸になっていくのですが、同じくらい重要なのが彼女の口ずさんでいた鼻歌が「煙が目にしみる」だということ。ある思い出の曲なのですが、彼女がその思い出を非常に大切にしていることがひとつの伏線になっています。
ケイトと、トム・コートネイ演じるジェフは、この週末に結婚45周年を祝うパーティを計画している老夫婦。実は40周年の際もパーティを計画していたのですが、ジェフが心臓のバイパス手術を受けて流れてしまったという経緯があります。ですから、ジェフの体調の問題もあって、パーティ会場(Assembly House)に打ち合わせに行ったり、主体的に動いているのはケイト。その表情からも楽しみにしていることが伝わってきます。
さて、月曜に配達された郵便物が何かといえば、スイスの警察からジェフ宛に送られてきた通知で、内容は、氷河のクレパスから遺体が見つかったので確かめにきて欲しいというもの。その遺体が、1962年にジェフと旅行していて事故に遭った当時の恋人、カーチャではないかというのです。
この映画の原作はデイビット・コンスタンチン(David Constantine)の“In Another Country”という短編小説ですが、その着想の源は、アルプスで転落死したフランス人ガイドの遺体が50年後に発見されたというニュースだそうで、冷凍されていた遺体は亡くなった当時そのままだったというエピソードだとのこと。
通知を受け取ったジェフは、氷の中に閉じ込められているカーチャを想像して気もそぞろです。今すぐスイスに飛びたいところですが、山登りに耐えられるような健康状態ではありません。それに週末には結婚45周年のパーティもあります。カーチャの記憶を反芻することしかできない自分が歯がゆくて仕方ないのですが、現実的にはどうしようもないことです。
上の空のジェフを見ているうちに、ケイトの内面に微かな嫉妬心が芽生えてきます。何しろ、氷の中のカーチャは28歳の若さのままなのです。ジェフの記憶にあるカーチャと、いま氷の中にいるカーチャが同じ姿で、そんなカーチャにジェフが思いを馳せていると思うと、何となく不快です。
映画の中盤、ケイトが友人を乗せた車を運転するシーンがあります。カーラジオから“Young Girl”というポップスが流れてきて腹立たしげにスイッチを切るのですが、その歌詞はこんな感じ。
Young girl, get out of my mind
My love for you is way out of line
Better run, girl
You’re much too young, girl
もちろん、自分は理性のある大人で、そんな非現実的な嫉妬などすべきでないとわかっています。それに反して、子どもっぽい感情を抱いてしまう自分に対する嫌悪感。そういった感情の収めどころがみつからず、ジェフに八つ当たりしてしまうことへの苛立ち。そんな心の動きを、シャーロット・ランプリングはちょっとした表情の変化で巧みに表現していきます。特にラストシーンは名演としか言いようがありません。
対するトム・コートネイも、ぼーっと呆けていたかと思えば、いかにケイトのことを大切に思っているか熱く語ってみたり、男のズルさやダメさを伝える演技がリアルです。ときおり見せる真摯で愛らしい表情や、そんなことでは誤魔化されないぞと思っている妻の表情を伺う仕草は、女性なら誰しも思い当たるものだと思います。
女性監督の作品かと思っていたのですが、監督を努めたのは男性のアンドリュー・ヘイ(Andrew Haigh)。長編デビュー作である前作はゲイカップルのラブストーリーで、私生活では作家のアンディ・モーウッド(Andy Morwood)と結婚しているそう。やはり、こういう繊細なストーリーを紡いでいくには、どこか性別を超えた部分が必要なのかも知れません。
[仕入れ担当]