映画「裁かれるは善人のみ(Leviathan)」

00_2 昨年のカンヌ映画祭で脚本賞を獲得した作品です。

監督は、初の長編作品「父、帰る」がベネチア映画祭で金獅子賞に輝き、続く「ヴェラの祈り」「エレナの惑い」がカンヌで高く評価されてきたロシアの鬼才、アンドレイ・ズビャギンツェフ(Andrey Zvyagintsev)。私はこれまでの作品を見逃していて、新作が公開されたら、ぜひ観に行きたいと思っていた監督です。

映画の舞台となるのはロシア北部、ムルマンスク州の鄙びた漁村。この地で生まれ育ち、自動車修理業を営むコーリャと若い妻のリリア、前妻との間にできた息子のロマの3人家族が暮らしています。

ロマは継母であるリリアに反抗的で、対するリリアも匙を投げている様子。窓越しに見える閑散とした風景に彼女の諦念が滲んでいるかのようです。

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始まりは、モスクワから列車で到着した弁護士のディーマを、コーリャが迎えに行くシーン。寂れた路上で出会った交通警官から、自動車の修理を頼まれますが、にべもなくコーリャは断ります。コーリャが警官を嫌っているようにも見えますが、実はそんなことはありません。ほとんど人が暮らしていない土地だからか、それなりに親しい間柄なのです。

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なぜディーマが招かれたかというと、コーリャの土地を市が収用しようとしていて、それを阻止したいから。経緯は詳しく語られませんが、どうやら市長が強引に買収を進めているようで、市に対する裁判のため、従軍していたときの後輩で、今はモスクワで弁護士をしているディーマの協力を要請したというわけです。

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ディーマはこの裁判には負けるだろうと言います。市長も裁判官も密に繋がっているので、無駄な抵抗だということです。実際、コーリャが要求した350万ルーブルは却下され、市が提示していた補償額64万ルーブルが支持されます。しかしディーマは、モスクワで市長の弱みを握ってきたので、裁判の後で直談判して判決を反故にするとコーリャを安心させます。

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ディーマが掴んできたネタは強力で、一時的には彼らの思い通りに展開しそうに見えます。しかし、邦題の通り、最終的にコーリャが裁きを受け、すべてを失うことになります。といっても冷静に考えれば、コーリャも善人とは言い切れませんし、ディーマもリリアも闇を抱えていて、そういう意味で邦題よりも原題“Leviathan”の方が内容を正確に示しているといえるでしょう。つまり、市井の人々が、ヨブ記などに登場する海の怪物レヴィアタンに呑み込まれる物語であり、ホッブズが言うところのリヴァイアサンに自然権を譲渡する物語です。

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コーリャが仲間とピクニックに出掛け、川辺でバーベキューをしながら、並べた空き瓶をライフルで撃つ場面があります。ひと通り撃ち終えた後、次の標的として歴代の指導者の肖像を持ち出してくるのですが、それと呼応するように市長室にプーチンの肖像が飾られていたり、随所で微妙に政治色をにおわせます。しかし、全体としてはそれほど政治的な作品ではないと思います。

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物語の構造としては、閉鎖的なコミュニティに外部の人間であるディーマが現れ、一時的に波風が起こるものの、またコミュニティ本来の秩序に戻っていくというオーソドクスなもの。

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外部の価値観を取り込もうとしたコーリャはコミュニティ全体から制裁を受け、この機に乗じてコミュニティから脱出しようとしたリリアは自滅するという点で、どちらかというと神話的な枠組みを使った寓話のような気がします。

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いずれにしても、いろいろな視点から観ることができる作品だと思います。わたし個人の感想としては、権力者も庶民も、男も女も、みんなハードリカーの飲み過ぎです。善悪を云々する前に、少しお酒を控えて頭脳をクリアにした方が良いのではないかと思いました。

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なんだか身も蓋もない結論になってしまいましたが、神が与える苦難という高尚なテーマと裏腹にそういう卑近な教訓も与えてくれる映画です。

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公式サイト
裁かれるは善人のみLeviathan

[仕入れ担当]