映画「ティル(Till)」

Till 2022年3月29日、つい昨年のことですが、米国で反リンチ法(Emmett Till Antilynching Act)が制定されました。人種差別に基づくリンチを罰する法律で、日本人からすれば“こんな当たり前のことを今ごろ法制化するのか”と驚いてしまいます。以前から違法だったヘイトクライム(249条)に“共謀”の概念を加え、リンチを明確化しただけですが、それさえも議論を呼ぶあたりが(結局、対象となるのは被害者が重傷または死亡した場合に限定されました)米国の特殊性でしょう。

反リンチ法に冠された“Emmett Till”というのは1955年にリンチに遭って殺害された少年の名で、その事件を映画化したのが本作。被害者エメット・ティルとその母親メイミー・ティル(Mamie Till-Mobley)にフォーカスし、事件の経緯とその後が描かれます。

1955年というのは、第二次世界大戦が終わって10年。公民権運動が盛り上がった時代です。多くの黒人が米国人として戦い、米国に命を捧げたにもかかわらず、南部の各州ではジム・クロウ法による隔離政策が敷かれ、相変わらず奴隷労働が行われていました。それに嫌気が差した黒人たちは、デトロイトやシカゴのような北部の工業都市に移住していったわけですが、メイミー・ティルも両親とともにミシシッピ州からイリノイ州に移り住んだ一人です。

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彼女は当地でルイス・ティルと結婚し、男児エメットを得ます。その後、離婚、再婚、離婚を経て、空軍に勤めながら母アルマと共にエメットを育てます。

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エメットは1955年にメイミーの叔父モーズ・ライトのもとを訪ねることになります。ライトはミシシッピ州マネーで綿花農業に従事しながら説教師をしていましたので、エメットとしては南部の暮らしを見てみたいといった軽い気持ちで旅行に行ったのでしょう。当時、彼は14歳になっていましたが、シカゴで生まれ育ったことから、南部のことをほとんど知りません。子ども時代しか過ごさなかったといえ、事情がわかっているメイミーは南部行きに反対しましたが、最終的に根負けし、口うるさく注意して送り出すことになります。

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都会育ちの子どもに綿花摘みのような労働は馴染みません。綿花畑で働いてみても、すぐに放り出してしまうエメット。その後、従兄弟たちとブライアント食料品店に出かけ、キャンディを買います。店の前にいるほとんどの客が黒人だったことから気が緩んだのでしょう。店主のキャロライン・ブライアントに軽口を叩き、憤慨した彼女に口笛を吹きます。怒った彼女は停めていた車に銃を取りに行き、それを見た黒人たちは散り散りに逃げ去っていきます。

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従兄弟たちにはことの深刻さがわかりますので、すぐシカゴに帰るべきだと言いますが、エメットは気にしません。ちょっと悪ふざけしただけという感覚だったのだと思います。

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すぐに何も起こらなかったのは、エメットがよそ者だったため、居場所探しに手間取っただけでした。数日後の晩、キャロラインの夫ロイと兄弟のJ.W.ミランがモーズ・ライトの家に押しかけてきて、銃をちらつかせながら、エメットを差し出せと脅します。ライトは為す術もなく、ただ連れ去られるエメットを見ているだけです。

事件の発覚後、ライト家を訪ねたメイミーは、玄関の脇にライフルが架けられていることに気付き、なぜ銃を取って彼らを追い返さなかったのかと叔父をなじります。それに対してライトは“彼らに銃を向けることは、この地の白人コミュニティに銃を向けるのと同じだ”と答えます。彼らを撃てば、白人と黒人の全面的な争いとなり、多くの人が血を流すことになるのです。

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そういう土地でリンチを受けて殺されたエメット。遺体のむごたらしい状態を見てメイミーは言葉を失いますが、それをシカゴに移送し、棺を開けた状態で葬儀を行います。息子が受けた残虐行為を世に知らしめようと考えたわけです。

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これは初めての試みではなく、映画の中でも触れられているように、その直前に暗殺された有権者登録運動の活動家ジョージ・リー(George W. Lee)の葬儀に倣ったものであり、二人の死に対する怒りがNAACPの活動と公民権運動を後押しすることになります。1962年にボブ・ディランは「The Death of Emmett Till(Youtube)」を歌っています。

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とはいえ、1955年当時の南部はあらゆる点で不公平がまかり通っていました。白人の陪審員だけの裁判でロイ・ブライアントとJ.W.ミランは無罪を勝ち取りましたし、証人として出席していたメイミーが、その評決を聞く前に裁判所を後にしたのも実話だそうです。

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そのメイミー、この映画の実質的な主人公ですが、彼女を演じたのがダニエル・デッドワイラー(Danielle Deadwyler)。1982年生まれながら、子役時代から活躍していてキャリアは長いそうです。本作での演技を高く評価され、米国内でいくつかの主演女優賞に輝いています。

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エメットを演じたのはジェイリン・ホール(Jalyn Hall)。メイミーの母アルマを演じたのはウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg)で本作のプロデューサーも務めています。教育映画のような真面目な作品の割に制作費がかかっていそうなのは、彼女と共に007シリーズのバーバラ・ブロッコリ(Barbara Broccoli)がプロデューサーに名を連ねているからかも知れません。

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監督・脚本はシノニエ・チュクウ(Chinonye Chukwu)。2019年公開の前作「Clemency」で注目を集めたナイジェリア出身の女性監督だそうです。

公式サイト
ティルTill

[仕入れ担当]