イランの巨匠ジャファル・パナヒの長男、パナー・パナヒ(Panah Panahi)監督の長編デビュー作です。こぢんまりした作品ですが、登場人物たちの心情が滲み出てくるような深みを感じます。
物語はシンプルで、家族4人が一台の車に乗ってイランの荒野を移動するというもの。ロードムービーですので車窓から見える風景もポイントですが、とりたてて特色のある町に行ったり、道中、何らかの出会いがあったりするわけではありません。ほぼ家族内のやりとりだけで完結する映画です。
運転しているのは長男で、助手席には母親が座っています。後部座席には父親と次男、ラゲッジスペースには一匹の犬が乗っているのですが、父親はなぜか足にギプスをしていて、次男はそこに描かれた鍵盤で遊んでいます。

長男は序盤ではほとんど喋りませんので、観客は父親と母親の会話で状況を少しずつ理解していくことになります。母親はラジオに合わせて歌を口ずさんだりしますが、父親は何かにつけて悪態をつき、少し不機嫌な感じです。

そこで効いてくるのが次男。やんちゃ盛りで、はしゃいだり、わがままを言ったり、やりたい放題です。映画の流れに緩急をつける重要な存在なのですが、それだけでなく、彼だけこの旅行の目的を知らず、無神経な行動をして物語に緊迫感を与えます。
たとえば序盤で、次男がスマートフォンを隠し持ってきたことがバレる場面。両親からスマホを禁じられているのかと思いきや、母親がそれをとりあげて埋めに行ったことで、この旅行に持参してはいけないと言い含められていたことがわかります。つまりスマホを使うことで情報が漏れることを心配しているのです。

東アーザルバーイジャーン州のタブリーズを抜けて西に向かうこの道路は、イランからトルコに密入国する人たちの一般的なルートだそうです。この一家も例に漏れず、長男を海外に出国させることが旅の目的で、永遠の別れになる前に家族揃って見送りに行こうとしているわけです。
長男が寡黙なのも、違法な出国に対する緊張と、その後の生活に対する不安によるもののようで、ときおり感情があふれ出て激情したりします。後半になると、長男の密航費用を捻出するため両親が大きな借金をしたことがわかり、長男のピリピリした態度には、両親に負担をかけたことに対する心苦しさが混ざっていることがわかります。

物語としての主役は長男でしょうし、彼と感情を交差させて喜怒哀楽を表現する両親が準主役という位置づけでしょうが、いちばん目立っているのは次男です。オーディションでラヤン・サルラク(Rayan Sarlak)を見つけたときに成功を確信した、と監督がインタビューで答えていましたが、演技を感じさせない自然な振る舞いで笑いを誘います。

こういうテーマの映画に彼を出演させるにあたり、政治的な役割を担わせないように監督が配慮したようで、何も知らないまま家族に同行したという設定を最後まで崩しません。何かにつけて大地に口づけして祈る素振りを見せることも、彼が非難されないようにするために必要な演出なのでしょう。

最大の見どころは、長男との別れの場面。かなり遠方から撮った映像で、3本の木と家族のシルエットしか見えませんが、人物の表情がわからなくても狼狽ぶりが伝わってくるという素晴らしい映像です。過度に感傷的にせず、静かに情景をとらえるだけにしたことで、より一層、悲しみが伝わってくるのだと思います。

イランの検閲をくぐり抜けるため、ダミーの脚本を提出してこの映画の撮影許可をとったとパナー・パナヒ監督は言います。具体的に描けない部分も多いかと思いますが、それを逆手にとり、逆に効果的な演出にしてしまうのがこの監督の持ち味なのでしょう。

拾ってきた病気の犬をラゲッジスペースに積んでいるこの家族。他の国なら動物保護の観点から語られる部分でしょうが、犬が不浄とされるイランでは特別な意味を持ってきます。旅の目的もそうですし、劇中で歌われるのもデルカシュ(delkash)やシャフラーム・シャブパレ(Shahram Shabpareh)の革命前の音楽が中心で、監督が現状の政治体制に満足していないことは明らかです。そういった気持ちを織り込みながら、全体としては人情味あふれる作品に仕上がっています。とても良い作品だと思います。

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君は行く先を知らない(Hit the Road)
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