映画「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔(Diego Maradona)」

Diego Maradona タイトルそのまま、ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)の軌跡を追うドキュメンタリー作品です。本作は昨年のカンヌ映画祭でプレミア上映されていますので、マラドーナが死去した昨年11月25日より前に披露されていた映画ということになります。

二つの顔というのは、サッカー好きで愛嬌あふれる私生活のディエゴと、マスコミの寵児として世間の期待に応え続ける外向きのマラドーナの二つの人格があるという、この映画で繰り返し語られる説。その考えをベースに、ディエゴ・マラドーナの光と陰を入れ子にしながら、サッカー界のレジェンドの人生を包括的に描いていきます。

監督は「AMY エイミー」でアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞したインド系英国人のアシフ・カパディア(Asif Kapadia)。本作も前作と同じく、スキャンダラスな面を強調されがちだった有名人の真の姿を伝ようとする姿勢に好感が持てます。

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プロデューサーを務めたポール・マーティン(Paul Martin)は、2015年にクリスティアーノ・ロナウド、2018年にスティーヴン・ジェラードを扱ったドキュメンタリー作品を手がけており、その関係でマラドーナの大量の記録映像がお蔵入りしていることを知った彼がカパディア監督に連絡して始まったプロジェクトだそうです。後者ジェラードの作品を監督したサム・ブレア(Sam Blair)は1986年のワールドカップをテーマにした「Maradona ’86」という作品を撮っていますので、おそらくそこからの情報でしょう。

件の記録映像はマラドーナの最初のエージェントであるホルヘ・シーテルスピレル(Jorge Cyterszpiler)の依頼でアルゼンチン人カメラマンが撮ったもので、何百時間分もの映像が残されていたそうです。またマラドーナの元妻であるクラウディア・ビジャファーネ(Claudia Villafane)の自宅からは30年以上手つかずだったプライベート映像が見つかり、そのおかげで私生活もふんだんに盛り込めたとのこと。おかげで公私二つの顔をバランス良く見せてくれます。

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ブエノスアイレス郊外ビージャ・フィオリト(Villa Fiorito)の貧しい家庭で育ったディエゴは、9歳のときにスカウトされてAAアルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織ロス・セボリータス(小玉葱)に加入し、15歳でトップチームに昇格。その際にクラブからアパートを与えられ、家族で引っ越して以来、両親と4人の姉、弟たちの生活を支えてきたそうです。

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ボカ・ジュニオルスを経てFCバルセロナに移籍しますが、怪我や病気であまり活躍できず、幹部との関係悪化もあって1年あまりで退団してSSCナポリに移ります。当時、SSCナポリはセリエBへの降格の危機に瀕していましたが、史上最高額でマラドーナを獲得したことが奏功して84-85シーズンは8位、85-86シーズンは3位とみるみるランクを上げ、86-87シーズンはクラブ史上初のセリエA優勝とコッパ・イタリア優勝の2冠に輝きます。

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1984年7月5日にスタディオ・サン・パオロで行われた入団会見には7万人のサポーターが駆けつけたそうで、映像からもナポリっ子たちの熱気が伝わってきます。同時に、その会見でカモッラ(当地のマフィア)について質問をした記者をクラブ会長コッラード・フェルライーノ(Corrado Ferlaino)が追い出そうとするナマナマしい映像も使われていて、もう一つの顔が作られていく過程もしっかり見せてくれます。

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この映画を観て思ったことは二つ。

一つは、やんちゃなイメージの強いマラドーナですが、印象とは異なり、常に地道な努力を続けていたということ。パーソナルトレーナーをつけて日夜トレーニングに励んだだけでなく、コカインにはまっていた時期でさえ、日曜晩の試合後からドラッグを使い、木曜からはドラッグを体から抜いて次の日曜に備えるという暮らしをしていたそうです。

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もう一つは、運命を引き寄せる大きなパワーがあったということ。神と呼ばれるだけのことはあります。上で記したSSCナポリの大躍進は、運命というより能力によるものが大きかったかも知れませんが、低迷しながらも熱狂的なファンを抱えたチームに入団したことや、チームメイトに恵まれたことなど、彼の功績をドラマチックに演出する下地ができていたという点で幸運だったといえるでしょう。

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また、86年メキシコW杯の準々決勝イングランド戦は、マラドーナの“神の手”で有名ですが、これはフォークランド紛争(Guerra de las Malvinas)敗戦の雪辱を果たしたという意味でアルゼンチン人にとって大きな価値をもつ勝利だったそうです。その注目の試合で、ハンドを見逃されてゴール判定になった“神の手”で1点目を獲り、その4分後にハーフウェーラインからドリブルで60m駆け上がる“5人抜き”で2ゴール目を決めるという快挙を成し遂げているわけですから伝説にもなるわけです。

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そして88-89シーズンのUEFAカップ。ホームスタジアムであるスタディオ・サン・パオロ(Stadio San Paolo)で優勝を決めたこともそうですが、その際、ナポリ出身のディフェンダー、チロ・フェラーラ(Ciro Ferrara)のゴールをアシストして観客を熱狂させたことも強運としかいいようがありません。

しかし90年イタリアW杯では、準決勝のイタリア・アルゼンチン戦がナポリで行われるという、偶然というには出来すぎの展開になります。マラドーナがナポリっ子たちにアルゼンチンを応援するように呼びかけたことがイタリア国内で非難され、試合がPK戦にもつれこんだ末にマラドーナのキックでアルゼンチンが勝利したこともあって、他の地域からの風当たりが強くなっていきます。その年に2度目のセリエA優勝を果たしているのですが、イタリアの南北摩擦が激化し、マラドーナの栄光に影が差し始めたという意味で大きな運命の変わり目といえるでしょう。

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イタリアの南北摩擦というのは、工業化が進んだイタリア北部と一次産業中心のイタリア南部の経済格差に起因する軋轢のこと。マラドーナがSSCナポリに入団した当初の映像では、北部の名門ACミランやインテルのサポーターたちから“イタリアの恥”とか“ナポリは下水”とか“風呂に入れ”といった汚い野次を飛ばされていて見ている側は唖然としますが、労働者階級出身のマラドーナにとっては一つのバネになったようで、ピッチ上での活躍に加え、貧しい側の気持ちのわかる男としてナポリっ子たちの心を鷲づかみしていくことになります。

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運命に翻弄され、毀誉褒貶にさらされながらも、サッカーに対する熱意だけは失わなかったスーパースター、マラドーナ。その光と影を描くと同時に、彼が生きた時代の意識や文化など見えにくかった部分も丁寧に掘り起こしている良質のドキュメンタリーだと思います。一見の価値ありです。

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